新島襄の教育者としての理念、設立者である湯浅正次と地域の人々の思い。
それは開学から現在まで新島学園に深く根付いています。

新島襄の教育理念

一国の良心ともいうべき人物を育てる

1843年に生まれた新島襄。幕末の変革の中でアメリ力に渡って勉学に励み、「文明の基は神を知ることと教育によって築かれる」と確信した新島襄は、帰国後、父母の住む安中を訪れ、地域の人々に外国の文化や教育事情、キリスト教について語りました。その後、30人に洗礼を授け、安中教会の設立を助けました。
帰国の一年後、新島襄は「一国の良心ともいうべき人物を養成する」ため、京都にキリスト教主義による同志社英学校(後の同志社大学)を設立しました。
同志社英学校 創立者 新島 襄

同志社英学校 創立者
新島 襄(1843年~1890年)

創設者 湯浅正次の思い

百年の計にはすべからく人材を養え

新島襄から洗礼を受けた湯浅治郎の孫にあたる湯浅正次は、1945年、新島襄の精神を基盤とする中学校を新設することを表明し、1947年5月、新島襄ゆかりの地である安中市に新島学園を設立しました。
「一年の計には穀を植え、十年の計には木を植え、百年の計にはすべからく人を植えよ」。この言葉は人物の養成の大切さを示し、新島襄の理念を体現するものとして、新島学園に根付いています。
新島学園 創立者 湯浅 正次

新島学園 創立者
湯浅 正次(1911年~1999年)

新島学園の教育理念

個人の持つ資質を全面的に育てる人間教育

新島襄の教育理念の真髄は、「良心の全身に充満した人物」の養成であり、良心とはキリスト教を基礎とした教育によってもたらされると考えました。
新島襄から洗礼を受けた人々の志を引き継いで設立された新島学園は、開学以来、教育の中心にキリスト教主義を掲げています。良心の満ちあふれた心、次代を拓く知識・学識を持った人物を育てるべく「教育の五原則」を策定。自由な校風のなか、生徒の多彩な個性を尊重し、育んでいます。
また、新島学園では、いわゆる「特別進学コース」はありません。全ての生徒は区別されることなく平等に質の高い教育を受けられます。また、土曜授業も行っていません。土曜日は部活動や勉強、習い事など、自身の個性や才能を磨く時間に充ててほしいからです。大切なのは「何を成すべきなのか」との決断であり、その実現のため自由と責任を重んじる自治自立の精神を大切にしています。
祈る生徒の写真